のぼり旗とは、日本に古くから根付いている文化であり欠かすことのできないアイテムです。最も身近なのは、店舗に掲げられている旗でしょう。
店の前に掲げられておることが多く、その店が営業しているもしくは開店したといった目印になってくれています。そこにはその店の業態や業種がプリントされていることも多いです。パン屋さんならパンのイラストが、惣菜店ならおいしい家庭料理の写真がプリントされていることも多く、一目で何を商っているかがわかってきます。
さらに新商品や推したい商品をそこにプリントし、販促活動や広告の代わりを果たしてくれることも多いんです。店舗経営に欠かせない搬送ツールでもあり、看板以上に目立っているといっても過言でなく、のぼりをみて店舗に入店する人も珍しくありません。
また歴史をさかのぼると、歌舞伎や大洲もでは必ず宣伝として歌舞伎座や国技館の前にのぼりが立てかけられるんです。神社などののぼり旗は、私たちに安心をもたらす旗でもあります。しかし近年、非常に衝撃的なのぼり旗を作って話題を集めた人が存在します。彼の名前は松澤宥といい、現代アーティストの一人であり2006年に亡くなるまで数々のアートを発表してきました。
1966年の衝撃的なのぼり
1966年〜松澤宥は衝撃的なのぼり旗を世に送り出し、世間の注目を非常に集めました。そのハタは、ピンクの旗で、その色彩自体もセンセーショナルだったのです。一般的に旗は白地に黒の文言、もしくは何かしらデザインが施されるのが一般的です。ピンクの旗に、人類よ消滅しよう行こう行こう/ギャテイギャテイ反文明委員会と記されていたことで、多くの人が度肝を抜き、何たることかと激昂する人まで現れました。
そのためピンクのハタはやがて消滅の幟と呼ばれるようになったんです。一時はこれで松澤宥のアーティストとしてのキャリアは終わったかと揶揄されましたが、それどころかこの旗は世界中を魅了し世界中に広がっていったわけです。
世界の人は彼の書かれた人類よ滅亡しようの意図はその逆で、反語であることをきちんと理解していたわけです。彼の意図することはみ、よりよき世界のためにということであり、世界中の安寧と安泰を祈願したものでもあったんです。
このことを境にのぼりは、主義主張を表現するのに非常に優れたアイテムであることも広く認知されるようになりました。そして日本に古くからあったのぼりを改めて見直すきっかけにもなりました。